僕は去年までほんとたくさんの事にこだわってきました。
未来
歳を取った時、今と同じくらいの幸せが欲しくて、そしてそれはおそらく得られないだろうと思ってた。だから不安だった。どうすれば10年後、20年後の自分も幸せでいられるか、それが僕の常なる課題だった。
成功と成長と勝利
僕は人生を勝者で終えたかった。いや、勝者になれる、その才能があると信じてた。今は自分が期待するレベルの勝者ではない。確かに世間一般からすれば勝者だ。でも自分の期待値はそこじゃない。自分は総理にもなれる器。福沢諭吉の生まれ変わりで82歳まで生きる。最大多数の最大幸福をこの手で実現して見せる。そう考え、信じてきた。でも、現実は単なるITのエンジニア。このギャップ、そして仕事にフォーカスするとギャップを永久に埋められない現実に苦しみ続けた。
成長にも強いこだわりがあった。40を過ぎて停滞の日々。鬱になり、後退を感じ始めた。脳の機能が明らかに劣化し始めているのを感じ怖くなった。成長実感こそが自分の生きがいであったのに。薄れていく生きがいが頭をよぎるたびに「これ以上生きる意味」に疑問を持つようになった。
完璧
僕は全部が完璧主義ではない。仕事、自分が重視する規範、そこだけ完璧主義だ。40まではそれでうまくいっていた。40代になって自分の完璧主義に自分がついて行けなくなった。いろいろな心のしがらみに苦しみ、もがく。
明瞭・最善・最適
僕は白黒はっきりつけたがる。曖昧は苦手。ある問いに答えは複数あるかもしれない。ただ最善があるはずだ。僕は常に最善と最適化を模索してきた。おそらく仕事で成功してきたのはそれが理由だ。
比較・他人の目
僕は常に人の目・評価を気にしていた。自己評価よりも褒められる、いい成績を付けられる、それが僕の喜びだった。顧客からの叱責は僕を痛く傷つけた。顧客の喜ぶ表情を見ると天にも昇るくらい嬉しかった。
僕は常に自分の相対的な位置を知りたがった。僕は平均よりはいい。僕は日本全体だと上位10%に位置する収入だ、とか。少しでも相対的に自分をいい位置に置きたかった。
・・・
他にもいろいろありますが、こんな感じです。
で、タイトルに戻ります。TODAYS ONLY
僕はポジティブ心理学で「こだわらない」を身に付けました。
ただ、心理学だけではなく、宗教も僕のエクササイズづくりに強く寄与しています。
(3大宗教+ユダヤ教を勉強しました)
イスラム教にある「インシャアッラー」という言葉。
英語に直すと、「If the God wishes」。つまりもし神が望むなら(私は〜するでしょう)
明日の約束をすると、必ずこれが出てきます。
何故かと言うと、イスラム教では未来を決めるのがアッラーだからです。
人間は未来を決められない。だから、インシャアッラー。
そして・・・アラブの人たちはよく約束を破るらしい。
それはアッラーがそう決めたから。
僕からすると「神のせいにしていいのか?!」と思うのですがw
まあ現地の人からすると、インシャアッラーは2種類あって、待ち合わせをした場合話し方で
「いけたらいく」→まず来ない
「絶対行く!」→来る
が分かるそうです。ただ、アラブに来たばかりの日本人はもちろんそんな事知らないから
「アラブ人は適当だ。。。」という事になる。
まあ、これ以外にもいろいろあるので実際に日本人より遥かに適当ではあるのですが、インシャアッラーは適当ではないと思っています。
で、イスラム教から学んだことは、
「そうか、僕が決められるのは今だけだ」
という事。今は選択できる。明日は分からない。
そう思った時、僕は人生の区切りを1日にしよう、そう決めることにしました。
つまり、
・朝起きたら僕の新しい人生が始まる
・寝たらこの人生は終わる
・朝起きたらまた僕の新しい人生が始まる
・・・
と言う感じです。
やりたい事、やった事がいいと思う事があれば、まず今日だけやる。明日は明日の僕が考えればいい。今日だけやろう。また、今日どうしてもやりたくないのなら、今日は絶対にやらない。今日1日、今を楽しく生きよう。有意義である事に越したことはないけど、別に有意義でなくても構わない。
そうすることに決めました。で、そうしたら、面白い副次効果が現れました。成長にこだわらなくなれたのです。別に成長しなくてもいいや、今やりたい事、頑張りたい、頑張らなくちゃいけない事、それだけにフォーカスすれば。やった事の結果にさえもうフォーカスしていないのだし、結果が作り出す成長にももう興味はない。そんな感じですね。
将来にこだわらなくなった分、今に対するこだわりは格段に増えました。
でも、ほんとそれでよかったと思ってます。
TODAYS ONLY。今日は今日だけ。今は今しかない。
だから楽しまなくっちゃ!!!