今日はロジャース中核三条件の一つ「共感的理解」です。
本はこちら。
今日も本から共感的理解を説明する言葉を抜粋します。
・人の靴を履いて考える
・as if(まるで〜のように)
・あたかもその人のように、でも「あたかも」の感覚を決して失わずに
感情的な構成要素と意味を持って他者の内的照合枠を正確に経験する事
・クライエントの話を私なりに理解したし、クライエントの世界が見えた
ように思う。しかしもっと何かがあるような気がする。その気持ちを
クライエントと分かち合おうか、それとも今はとどまっておこうか。
・感情移入・同感・思いやり、の最大公約数に当たるもの
・他者の内的照合枠を、その人であるかのように正確に知覚し、本人の
ように感じながらも、同一視はしていない状態
・他者の主観的世界に入り、自分らしくいられ、そこで感じられる意味に
敏感であり、侵入的にならないように感じた意味を伝達し、つねにその
正確さを相手に確かめながらその反応に導かれながらついていくこと。
・クライエントが管理し整えているものを観察し、自然に醸し出されている
雰囲気・存在を感じ、語られている事を聴き、語られないものを想う事。
・話の内容にまつわるその人の感じ方を感じとり、理解しようとする事
・あなたの世界に入り込んで、そっくり同じような考え方ができる事
・他者の個人的な近くの中に入り込んでいき、その中で完全にくつろぐ事
共感と同感の違い。
共感はクライエントの言動からその言動の奥にある感情の理解に努め、
「こういうことなのかな?」という感覚を自分に「インストールする事」。
ただ、そのインストールして得られた感覚に対して、
・できるだけ判断をしない
・自分の考えと距離を置く
これで同化したり、強く同意するような同感をしない、これが共感で、
相手の思考や感情に強く同意に近い感覚を抱き、応答するのが同感。
で、常に共感せよ、という感じなのですが、僕は明らかにそう思う、と
いう時は同感でもいい気がする時があります。共感だと、「〜と
感じているのですね」となるのですが、「そう思いませんか?」と
聴かれて、「そう思うんですね」って正直腹落ちしてません。まあ、
まだ傾聴に対して経験・知見が足りないのかもしれない。
ただ、完全に同意見に感じる時に、自分の意見を発しないのは、
不一致な気がするんですよね。この辺はもっと掘り下げていきたいと思います。