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その7 石川啄木 ローマ字日記 Part7

(十日の続き)

 哲学としての自然主義は、その時「消極的」の本丸を捨てて、

「積極的」の広い野原へ突貫した。彼――「強きもの」は、あら

ゆる束縛と因襲の古い鎧を脱ぎ捨てて、赤裸々で、人の力を

借りることなく、勇敢に戦わねばならなかった。鉄のごとき心を

以て、泣かず、笑わず、何の顧慮するところなく、ただましぐら

に、己の欲するところに進まねばならなかった。人間の美徳と

いわれるあらゆるものを塵のごとく捨てて、そして、人間のなし

得ない事を平気でなさねばならなかった、何のために? それ

は彼にも分らない。否、彼自身が彼の目的で、そしてまた人間

全体の目的であった。

 武装した百日は、ただ武者ぶるいをしてる間に過ぎた。予は

誰に勝ったか? 予はどれだけ強くなったか? ああ!
つまり疲れたのだ。戦わずして疲れたのだ。

 世の中を渡る道が二つある。ただ二つある。「オール オア

ナッシング!」一つは凡てに対して戦うことだ。これは勝つ、し

からずんば死ぬ。も一つは何ものに対しても戦わぬことだ。こ

れは勝たぬ。しかし負けることがない。負けることのないもの

には安心がある。常に勝つものには元気がある。そしてどち

らも物に恐れるということがない……そう考えても心はちっとも

晴れ晴れしくも元気よくもならぬ。予は悲しい。予の性格は不幸

な性格だ。予は弱者だ、誰のにも劣らぬ立派な刀を持った弱者

だ。戦わずにはおられぬ、しかし勝つことはできぬ。しからば死

ぬほかに道はない。しかし死ぬのはいやだ。死にたくない!

 しからばどうして生きる?

 何も知らずに農夫のように生きたい。予はあまり賢すぎた。

発狂する人がうらやましい。予はあまりに身も心も健康だ。

ああ、ああ、何もかも、すべてを忘れてしまいたい! どうして?

 人のいない所へ行きたいという希望が、このごろ、時々予の

心をそそのかす。人のいない所、少なくとも、人の声の聞えず、

否、予に少しでも関係のあるようなことの聞えず、誰も来て予

を見る気遣いのない所に、一週間なり十日間なり、否、一日

でも半日でもいい、たった一人ころがっていてみたい。どんな顔

をしていようと、どんななりをしていようと、人に見られる気遣い

のない所に、自分の身体を自分の思うままに休めてみたい。


予はこの考えを忘れんがために、時々人の沢山いる所・・・

活動写真へ行く。また、その反対に、何となく人・・・若い女の

なつかしくなった時も行く。しかしそこにも満足は見出されない。

写真・・・ことにも最も馬鹿げた子供らしい写真を見ている時だ

けは、なるほど強いて子供の心に返って、すべてを忘れること

もできる。が、いったん写真がやんで「パーッ」と明るくなり、数

しれぬウヨウヨした人が見え出すと、もっとにぎやかな、もっと

面白い所を求める心が一層強く予の胸に湧き上がってくる。

時としては、すぐ鼻の先に強い髪の香を嗅ぐ時もあり、暖かい

手を握っている時もある。しかしその時は予の心が財布の中の

勘定をしている時だ。否、いかにして誰から金を借りようかと

考えている時だ! 暖かい手を握り、強い髪の香を嗅ぐと、

ただ手を握るばかりでなく、柔らかな、暖かな、真っ白な身体を

抱きたくなる。それを遂げずに帰って来る時の寂しい心持ち! 

ただに性欲の満足を得られなかったばかりの寂しさではない。

自分の欲するものはすべて得ることができぬという深い、恐ろ

しい失望だ。

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今日の内容は、なるほどー、と思いました。

啄木はオールオアナッシングか勝負しないかの2択しか考えられなかった。

分かるなぁ、すごい分かる。

僕も半年前までオールオアナッシングだった。

で、1997年から2014年までの社会人生活は勝ち続けた。ほぼ無敗。

給料も300→1700まで増えた。

ただ、2014年末に大敗して、それから5年は全敗だった。

何をしても負ける。

鬱になる。

休職する。

退職する。

その連鎖。

会社も2社辞めた。

年収も1700→300まで落ちた。

ただ、今年になって、

「社会人初年度に戻っただけ。まだ俺の人生終わっていない。」

と確信した。

仮に300が0に落ちたって、勝っていた時の自分の「遺産」がある。

すぐには俺の人生は終わらない。

仮に詰んでも日本には生活保護もある。

なんとかなる。

つまり、諦めなければなんとかなる。

で、今の僕はどちらかといえば、勝負をしなくなりました。

ごく一部のことはいまだに勝負を続けてます。たとえば株やFX

は毎日勝負してます。

でも、ほとんどの事は勝負しなくなりました。別に昇進しなくても

会社の同僚に後ろ指さされても別にどうでもいいやと。

自分は自分の理論に強い自信があるけど、単なるプラセボ

(自己催眠)なのかもしれない。まあ、他人が理解できないなら

多分そういう事なのだろうし、それでもいいや、自分にとって

価値があると信じられることを考え、それをするのならば、と。

ミハイ・チクセントミハイの言う「自己目的的パーソナリティ」、

その境地に達したとまでは言えませんが、近づきつつある。

だからこそ、やっぱりこの頃の啄木と話してみたかったですね。

まあ、皮肉屋の彼は受け入れられないかもしれませんけれども。

ほんと、啄木は自信家だし、差別主義者ですねー。。。

農夫のように何も考えず生きたい?当時の大抵の農夫は文学に

興味がないかもしれないけれど、農作物について命がけで考えて

いたはずですよね。

全てを得ることができぬ失望、まあこれもわかるなー、と。

これを打破するキーワードが「こだわらない」なんですよね。

自分にとって必要な事を厳選する。

必要な事とは自分の安全のために必須である事。

僕にとってそれは、

・そこそこ健康である

・そこそこ眠れる

・そこそこ貯えがある

の3つでした。

この3つは今満たされてる。だから僕は安全だ。

そう思ったら一気に楽になりました。

で、それ以外のこだわり

・未来

・他者との比較・他者の目

・優劣・完全

・曖昧

・地位

などなど。

こういった物事を「こだわらない」と決める。

決めちゃえば一気に楽になります。

で、こだわるものを定めて、それは今までよりもずっとこだわる。

エッセンシャル志向と通じるところがありますが、あくまで「自分

にとって」重要である事だけにフォーカスする。他者や社会が

重要かどうかはどうでもいい、あくまで自分が重要と感じること

にフォーカスする。

当時の啄木にこれを伝えて、もし彼が僕に感化されたら、彼の

作品はよくなったのだろうか?それとも作家としての力量が

失われたのだろうか?僕の予想は後者です。

僕も小説をこの頃書いてますけど、やっぱり小説家としての

自分の時は、とても自由だけど同時にとても破壊的でもある。

単に「ハッピー!」なだけでは小説は書けないんですよね。。。

で、啄木に戻ると、金がなくて女が抱けなかった、という事だと

思うのですが、啄木ともあろうものがなぜ金を必要としたのか、

と思うのですよね。逆にファンと出会うような自分に思いを

はせてくれている人と性的な事は度外視して心的交流する。

その方がずっと安心につながると思うのですが。。。

と、まあ今日は結構考えさせられましたw

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