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その14 石川啄木 ローマ字日記 Part14

十八日 日曜日

早く眼は覚ましたが、起きたくない。戸が閉まっているので部屋の

中は薄暗い。十一時までも床の中にモゾクサしていたが、社に行こ

うか、行くまいかという、たった一つの問題をもてあました。行こうか

? 行きたくない。行くまいか? いや、いや、それでは悪い。何とも

結末のつかぬうちに女中がもう隣の部屋まで掃除してきたので起き

た。顔を洗ってくると、床を上げて出て行くおつねの奴。

「掃除はお昼過ぎにしてやるから、ね、いいでしょう?」
「ああ。」と予は気抜けしたような声で答えた。
「・・・してやる? フン。」と、これは心のうち。

節子からハガキが来た。京子が近頃また身体の具合がよくないの

で医者にみせると、また胃腸が悪い・・・しかも慢性だと言ったとの

こと。予がいないので心細い。手紙がほしいと書いてある。

とにかく社に行くことにした、一つは節子の手紙を見て気を変えた

ためでもあるが、また、「今日も休んでる!」と女中どもに思われたく

なかったからだ。

「なーに、厭になったら途中からどっかへ遊びに行こう!」そう思って

出たが、やっぱり電車に乗ると、切符を数寄屋橋に切らせて、社に行

ってしまった。

三つぐらいの可愛い女の子が乗っていた。京子のことがすぐ予の

心に浮かんだ。節子は朝に出て夕方に帰る。その一日、狭苦しい家

の中はおっかさんと京子だけ! ああ、おばあさんと孫! 予はその

一日を思うと、眼がおのずからかすむを覚えた。子供のたのしみは

食い物のほかにない。その単調な、薄暗い生活に倦うんだ時、京子

はきっと、何か食べたいとせがむであろう。何もない。「おばあさん、

何か、おばあさん!」と京子は泣く。何とすかしても聞かない。

「それ、それ・・・」と言って、ああ、たくあん漬!

不消化物がいたいけな京子の口から腹に入って、そして弱い胃や

腸を痛めている様が心に浮かんだ!

にせ病気をつかって五日も休んだのだから、予は多少敷居の高い

ような気持ちで社に入った。無論何の事もなかった。そして、ここに

来ていさえすれば、つまらぬ考えごとをしなくてもいいようで、何だか

安心だ。同時に、何の係累のない・・・自分の取る金で自分一人を

処置すればよい人たちがうらやましかった。

新聞事業の興味が、校正の合間合間に予を刺激した。予は小樽

が将来最も有望な都会なことを考えた。そして、小樽に新聞を起して、

あらん限りの活動をしたら、どんなに愉快だろうと思った。

妄想暴走は果てもない! 函館の津波・・・金田一君と共に樺太へ

行くこと・・・ロシア領の北部樺太へ行って、いろいろの国事犯人

に会うこと・・・

帰りに唖の女を電車の中で見た。「小石川」と手帳へ書いて、それ

を車掌に示して、乗換切符をもらっていた。

妹――親兄弟に別れ、英国人イングリツシユのエバンスという人

と共に今月旭川へ行った光子から長い手紙が来ていた。「・・・この

頃はだいぶ町にも慣れまして、凌ぎやすくなりました。でも、こう、

柔らかな春日和を窓ごしに受けてなどおりますと、どこも思い出し

ませんが、ただ、故郷なる渋民を思い出します。

兄様に言いつけられて、あの山道の方など、菫を探しに歩きまし

た当時のことを追懐いたします。兄様もあるいはその当時の有様を

心にお辿りになることがおありかもしれません! ……私の机の上

に可愛らしい福寿草があります。それを見ていますと、今日、ふと

故郷が思い出されてなりませんの。よく菫や福寿草を探しに、あの

墓場のほとりを歩きましたっけ! ・・・そして、いろいろなことを思い

出しましたの。兄様に叱られた昔のことを思っては、新しく恨んでも

みました・・・許して下さいませ! 今は叱られたくても及びません!

「なぜあの時、甘んじて兄様に叱られなかったでしょう? 今になって

はそれがこの上もなく、悔しゅうございます。もう一度、兄様に叱られ

てみたくって!

しかしもう及びません! ・・・実際私の心がけは間違ってました

ねえ!・・・兄様は今渋民の誰かとお便りなすっていらっしゃるの?

私、秋浜のきよ子さんにお便り出したいと存じておりますが、北海道

へ参ってからまだ一度も出しませんの。

「それから私どもねえ、五月中頃は婦人会や修養会がございまして、

また小樽や余市方面へ参ります」

予の眼はかすんだ。この心持ちをそのまま妹に告げたなら、妹はどん

なに喜ぶであろう! 現在の予に、心ゆくばかり味わって読む手紙は

妹のそればかりだ。母の手紙、節子の手紙、それらは予にはあまり

悲しい、あまり辛い。なるべくなら読みたくないとすら思う。そしてまた、

予には以前のように心と心の響き合うような手紙を書く友人がなくな

った。時々消息する女・・・二三人の若い女の手紙・・・それも懐かしく

ないわけではないが、しかしそれは偽りだ。・・・妹! 予のただ一人

の妹! 妹の身についての責任はすべて予にある。しかも予はそれ

を少しも果たしていない。

おととしの五月の初め、予は渋民の学校でストライキをやって免職に

なり、妹は小樽にいた姉のもとに厄介になることになり、予もまた

北海道へ行って、何かやるつもりで、一緒に函館まで連れてって

やった。津軽の海は荒れた。その時予は船に酔って蒼くなってる妹に

清心丹などを飲まして、介抱してやった。

ああ! 予がたった一人の妹に対して、兄らしいことをしたのは、おそ

らく、その時だけなのだ!

妹はもう二十二だ。当たり前ならば無論もう結婚して、可愛い子供で

も抱いてるべき年だ。それを、妹は今までもいくたびか自活の方針を

たてた。不幸にしてそれは失敗に終った。あまりに兄に似ている不幸

な妹は、やはり現実の世界に当てはまるように出来ていなかった!

最後に妹は神を求めた。否、おそらくは、神によって職業を求めた。

光子は、今、冷やかな外国婦人のもとに養われて、「神のため」に

働いている。来年は試験を受けて名古屋のミッション・スクールへ入り、

「一生を神に捧げて」伝道婦になるという!

兄に似た妹は果たして宗教家に適しているだろうか!

性格のあまりに近いためでがなあろう。予と妹は小さい時から仲が

悪かった。おそらくこの二人のくらい仲の悪い兄妹はどこにもあるまい。

妹が予に対して妹らしい口を利いたことはあったが、予はまだ妹が

イジコの中にいた時から、ついぞ兄らしい口を利いたことはない!

ああ! それにもかかわらず。妹は予を恨んでいない。また昔の

ように叱られてみたいと言ってる。それがもうできないと悲しんでる!

予は泣きたい!

渋民! 忘れんとして忘れ得ぬのは渋民だ! 渋民! 渋民!

我を育て、そして迫害した渋民! ・・・予は泣きたい、泣こうとした。
しかし涙が出ぬ! ・・・その生涯の最も大切な十八年の間を渋民

に送った父と母・・・悲しい年寄りだちには、その渋民は余りに辛く痛

ましい記憶を残した。死んだ姉は渋民に三年か五年しかいなかった。

二番目の岩見沢の姉は、やさしい心と共に渋民を忘れている。思い

出すことを恥辱のように感じている。そして節子は、盛岡に生まれた

女だ。予と共に渋民を忘れ得ぬものはどこにあるか? 広い世界に

光子一人だ!

今夜、予は妹・・・哀れなる妹を思うの情に堪えぬ。会いたい!

会って兄らしい口を利いてやりたい! 心ゆくばかり渋民のことを語

りたい。二人とも世の中の辛さ、悲しさ、苦しさを知らなかった何年の

昔に帰りたい! 何もいらぬ! 妹よ! 妹よ! 我らの一家がうち

揃って、楽しく渋民の昔話をする日は果たしてあるだろうか?

いつしか雨が降りだして、雨だれの音が侘びしい。予にしてもし父

・・・すでに一年便りもせずにいる父と、母と、光子と、それから妻子と

を集めて、たとい何のうまいものはなくとも、一緒に晩餐をとることが

できるなら・・・

金田一君の樺太行きは、夏休みだけ行くのだそうだ。今日は言語

学会の遠足で大宮まで行って来たとのこと。

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最初からずっと啄木の日記を読んでいて、今になって感じるのは、

「もし今の時代で診断したら、啄木普通に鬱だよな?これ」と

思いました。

5日のずる休みも休んでる間、かなり病んでた。まあエロ本の書き

起こしなんかもしてましたけどwでも啄木、岩手の渋民と言う田舎

出身なのに、彼を取り巻く環境ってほんといろいろあったんだなぁと

思いますね。

啄木自身は渋民の学校でストライキして首になり、その後も釧路に

行ったりして、いつの間にか東京に来てる。妻子を残して。

奥さんはおそらく小学校の先生をしてて稼ぎはあるけど、貧乏。

娘はお母さんが見続ける。

妹さんはキリスト教に生涯を捧げるために教会で働いている。

啄木は下宿を引き払って家族を呼び寄せたいけど、金がない。

小説家・歌人で生きることに決めてるけど、そこそこ当たっては

いるものの、本人が思ってるほど評価はされない。余はもっと

もっとすごい。言葉の節々からそれを感じる。

で、親友の金田一君は金持ちではないけど、どういうわけか

啄木のタカりを許してる。

なんか今の時代でもあまり例を見ない状況な気がします。

それにしても妹に対する愛情が凄いというか、まあおそらく「過

去にもっといい兄であればよかった」という後悔の念から来ていた

のでしょうね。

でも、おそらく妹さんは使命を見つけたのだから、啄木の想いとは

裏腹におそらく幸せだったのではないか、そう想像します。「もうと

っくに結婚していたはず」。それは啄木視点であって、キリスト教

に殉じると決めた妹さんからすれば「生涯独身」は当たり前の事。

まあ啄木がクリスチャンでなければ、「可哀そうに」と見えてしまう

のはしょうがない事だったのかもしれませんね。僕は妹さんと

当然話したことがないので、結局妹さんの想いは分かりませんが、

もし「使命」を見つけて、北海道に行っていたのだとしたら。

それならきっと幸せだったと思う。

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