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その16 石川啄木 ローマ字日記 Part16

二十日 火曜日

廊下でおつねが何か話している。その相手の声は予の未だ聞いたことの

ない声だ。細い初々しい声だ。また新しい女中が来たなと思った・・・それは

七時頃のこと・・・この日第一に予の意識にのぼった出来事はこれだ。

うつらうつらとしていると、誰かしら入って来た。「きっと新しい女中だ。」・・・

そう夢のように思って、二三度ゆるやかな呼吸をしてから眼を少しばかり開い

てみた。

思ったとおり、十七ぐらいの丸顔の女が、火鉢に火を移している。「おさださん

に似た、」とすぐ眼をつぶりながら、思った。おさださんというのは、渋民の郵便

局の娘であった。あのころ・・・三十六年・・・たしか十四だったから、今は十・・十

・・そうだ、もう二十歳になったのだ・・・どこへお嫁に行ったろう?

そんなことを考えながら金矢七郎君を思い出した。そしてウトウトした。
すぐまた眼がさめた・・・と言っても眼をあく程すっかりではない。手荒く障子を

あけておつねが入って来た。そして火鉢の火を持って行く、予が眼をあくと、
「貴方の所へはあとで持って来ます。」
「虐待しやがるじゃないか?」
と、予は、胸の中でだけ言ったつもりだったが、つい口に出てしまった。おつね

は顔色を変えた。そして何とか言った。予は「ムヤ、ムヤ」言って寝返りをした!

午前中、頭がハッキリしていて、「坂牛君の手紙」を二枚だけ書いた。そして社

に行った。

昨夜川崎の手前に汽車の転覆があったので、社会部の人たちはテンテコ舞い

をしている。

例刻に帰った。間もなく平出君から電話。短歌号の原稿の催促だ。いい加減な

返事をしたが、フン! ツマラナイ、歌など! そう思うと、家にくすぶってるもつま

らないという気になって、ひとり出かけた。五丁目の活動写真で九時までいた。

それから一時間はアテもなく電車の中。

今朝、肩掛を質屋に持って行って六十銭借りた。そして床屋に入って頭を五分

刈りにし、手拭とシャボンを買って、すぐその店の前の湯屋に入ろうとすると、

「今日は検査の日だから、十一時ごろからでなくては湯がたたぬ、」とその店の

愛嬌のあるカミさんが教えてくれた。

二十一日 水曜日
昨夜枕の上で天外の「長者星」を少し読んだ。実業界のことを書こうと思って

一ヵ年間研究したという態度が既に間違っている。第二義の小説・・・が、この

作家は建築家のような、事件を組み立てる上の恐るべき技量を持っている。

空想の貧弱な作家の及ぶところでない。

そうしてる所へ金田一君が、「お湯があるか、」と言って入って来て、上田敏

さんが何かの雑誌へ「小説は文学に非ず、」という論文を出すそうだという話

をした。「それ、ごらんなさい!」と予は言った。「あの人もとうとうその区別を

しなければならなくなってきた。時は文学の最も純粋なものだというあの人の

クラシカルな意見なり趣味なりを捨てることも出来ず、さりとて、新文学の権威

を認めぬわけにいかなくなってきた。そこでそんな二元的な区別を立てなくちゃ

ならなくなったんでしょう。」

今日から三階はまたおきよさんの番だ。早く起きた。
遂に葉桜の頃とはなった。窓をあけると、煙るような若葉の色が眼を刺激する。
昨日は電車の中で二人まで夏帽を被った人を見た。夏だ!
九時に台町の湯屋へ行った。ここは去年東京に来て赤心館にいた頃、よく行

きつけた湯屋だ。大きい姿見、気持ちよき噴霧器、何の変りはない。ただあの頃

いた十七ばかりの男好きらしい女が、今日は番台の上にいなかった。一枚ガラス

の窓には朝のスガスガしい日光に青葉の影がゆらめいていた。予は一年前の

心持になった。三助も去年の奴だ。・・・そして予は激しい東京の夏がすぐ眼の前

に来てることを感じた。赤心館の一ト夏! それは予が非常な窮迫の地位に居な

がらも、そうして、たとい半年の間でも家族を養わねばならぬ責任から逃れている

のが嬉しくて。そうだ! なるべくそれを考えぬようにして「半独身者」の気持ちを

楽しんでいた時代であった。そのころ関係していた女をば、予は間もなく捨てて

しまった。・・・今は浅草で芸者をしている。いろいろのことは変った。予はこの一

年間に幾人かの新しい友を得、そうして捨てた。・・・予は、その頃より健康に

なった身体をセッセと洗いながら、いろいろの追懐に耽った。・・・一年間の激しい

戦い! ・・・そして、恐ろしい夏がまた予に! 一文無しの小説家にやってくる!

恐ろしい夏が! ああ! 肉体的なたたかいの大きな苦痛と深い悲しみと

一緒に、他方また若いニヒリストの底なしの歓喜といっしょに!

湯屋の門を出ると昨日予に石鹸を売った表情たっぷりの女がどこかおだやかな

好意のこもった素振りで予に「おはようございます」と言った。

入浴と追憶とは予にいくらか熱した若い快活さを与えた。予は若い。そして、

ついに、生活はそれほど暗くも苦しくもない。日は照っている。月は静かだ。

予が金を送るか、彼らを東京に呼ぶかしなければ、彼ら・・・予の母と妻とは

別の方法で食ってくだろう。予は若い、若い、若い。予にはペンと頭脳と眼と

情と知とがある。ただそれだけ。それが全部だ。下宿の主人が予をこの部屋

から追い出すなら、予はどこへでも行く。この首府には下宿やホテルはたくさん

ある。今日、予には五厘銅貨一枚しかない。だがそれがなんだ。ナンセンスだ!

東京にはずいぶんたくさん作家がいる。それが予にどうだというのだ。なんでも

ない。彼らは指の骨と筆で書いている。だが予はインキとGペンで書かねばなら

ぬ! ただそれだけだ。ああ、焼けるような夏と緑色のたたかい!

今日から汽車の時間改正のため第一版の締切が早くなり、ために第二版の

出来る迄居ることになった。出勤は十二時、退けは六時。

夜、金田一君の部屋に中村君が来た。行って話す。この人も学校を出ると多分

朝日へ入るようになるだろうとのこと。

平出から原稿催促の電話。

―――

なんか、この2日間の啄木は若干マイルドですね。

とはいえ、

>「虐待しやがるじゃないか?」

これはほんとおつねさん、びっくりしただろうし、むちゃくちゃ腹立ったでしょうね。

これで、おつねさんのさらなる冷たい対応確定。

それと、

>予は若い、若い、若い。予にはペンと頭脳と眼と情と知とがある。ただそれだけ。

>それが全部だ。

この自身と情熱があれば基本曲がらない気がするのですが、啄木は何でこんなに

ひねくれていたのだろう?もっと評価されるはずだと思っているから?

この日記、4月20日には終わると思っていたのですが、まだまだ続きます。

おそらくあと10回くらい続く、そんな感じです。

でも、今の時代にいる石川啄木のような若い子、いずれ僕が癒してみたいですね。

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