六日 木曜日
今日も休む。昨日今日せっかくの靖国神社の祭典を日もすがらの雨。
朝、岩本、清水の二人に起された。何となく沈んだ顔をしている。
「このままではどうもならない! どうかしなければならぬ!」と予は考えた。
「そうだ! あと一週間ぐらい社は休むことにして、大いに書こう。それにはここ
ではいけない。岩本の宿のあき間に行って、朝っから晩まで書こう。夜に帰って
来て寝よう。」
そして金が出来たら三人でとりあえず、自炊しようと考えた。金田一君にも話
して同意を得た。
原稿紙とインクを持って早速弓町へ行った。しかしこの日は何にも書けず、
二人からいろいろの話を聞いた。聞けば聞くほど可愛くなった。二人は一つ布団
に寝、二分芯のラムプを灯して、その行末を語り合っているのだ。
清水茂八というのも正直な、そしてなかなかしっかりしたところのある男だ。
二年ばかり朝鮮京城の兄の店に行っていたのを、是非勉強しようと思って逃げ
て来たのだという。
予は頭の底にうずまいているいろいろの考えごとを無理に押さえつけておいて、
二人の話を聞いた。清水は朝鮮の話をする。予はいつしかそれを熱心になって
聞いて、「旅費がいくらかかる?」などと問うてみていた。哀れ!
夜八時頃帰って来、一寸金田一君の部屋で話して帰って寝た。
今日書こうと思い立ったのは、予が現在に於いてとり得るただ一つの道だ。そう
考えると悲しくなった。今月の月給は前借してある。どこからも金の入りようが
ない。そして来月は家族が来る・・・予は今底にいる
底! ここで死ぬかここから上って行くか。二つに一つだ。そして予はこの二人
の青年を救わねばならぬ!
七日 金曜日
七時頃に起してもらって、九時には弓町へ行った。そして本を古本屋へ預けて
八十銭を得、五分芯のラムプと将棋と煙草を買った。桔梗屋の娘!
話ばかり栄え、それに天気がよくないので、筆は進まなかった。それでも「宿屋」
を十枚ばかり、それから「一握の砂」というのを別に書き出した。とにかく今日は
ムダには過ごさなかった。夜九時ごろ帰った。桔梗屋の娘!
岩本の父から手紙。何分頼むとのこと。それから釧路の坪仁子のなつかしい
手紙、平山良子のハガキ、佐藤衣川のハガキなどが来ていた。
八日 土曜日 ― 十三日 木曜日
この六日間予は何をしたか? このことは遂にいくら焦っても現在をぶち壊す
ことの出来ぬを証明したに過ぎぬ。
弓町に行ったのは、前後三日である。二人の少年を相手にしながら書いては
みたが、思うようにペンが捗らぬ。十日からは行くのをやめて、家で書いた。
「一握の砂」はやめてしまって「札幌」というのを書き出したが、五十枚ばかりで
まだ纏まらぬ。
社のほうは病気のことにして休んでいる。加藤氏から出るように行って来たの
にも腹が悪いという手紙をやった。そして、昨日、弓町へ行くと二人は下宿料の
催促に弱っているので、岩本を使いにやって加藤氏に佐藤氏から五円借りても
らい、それを下宿へ払ってやった。北原から贈られた「邪宗門」も売ってしまった。
清水にはいろいろ苦言して、予からその兄なる人に直接手紙をやり、本人には
何でも構わず口を求める決心をさせた。岩本の方は平出の留守宅へ書生に
周旋方を頼んでおいた。
限りなき絶望の闇が時々予の眼を暗くした。死のうという考えだけはなるべく
寄せ付けぬようにした。ある晩、どうすればいいのか、急に眼の前が真っ暗に
なった。社に出たところで仕様がなく、社を休んでいたところでどうもならぬ。
予は金田一君から借りて来てる剃刀で胸に傷をつけ、それを口実に社を一ヶ月
も休んで、そして自分の一切をよく考えようと思った。そして左の乳の下を斬ろう
と思ったが、痛くて斬れぬ。微かな傷が二つか三つ付いた。金田一君は驚いて
剃刀を取り上げ、無理矢理に予を引っ張って、インバネスを質に入れ、例の
天ぷら屋に行った。飲んだ。笑った。そして十二時ごろに帰って来たが、頭は
重かった。明りを消しさえすれば目の前に恐ろしいものがいるような気がした。
母からいたましいカナの手紙がまた来た。先月送ってやった一円の礼が
言ってある。京子に夏帽子をかぶせたいから都合よかったら金を送ってくれと
言って来た。
このまま東京を逃げ出そうと思ったこともあった。田舎へ行って養蚕でもやり
たいと思ったこともあった。
梅雨近い陰気な雨が降り続いた。気の腐る幾日を、予は遂に一篇も脱稿
しなかった。
友人には誰にも会わなかった。予はもう彼らに用がない。彼らもまた予の
短歌号の歌をよんで怒ってるだろう。
渋民のことが、時々考えられた。
あんなにひどく心を動かしたくせに、まだ妹にハガキもやってない。岩本の父
にはハガキだけ。家にもやらぬ。そして橘智恵子さんにもやらぬ。やろうと
思ったが何も書くことがなかった!
今夜は金田一君の部屋へ行って女の話が出た。頭が散っていて何も書けぬ。
帰って来て矢野龍渓の「不必要」を読んで寝ることにした。時善と純善! その
純善なるのも畢竟何だ?
予は今予の心に何の自信なく、何の目的もなく、朝から晩まで動揺と不安に
追っ立てられていることを知っている。何のきまったところがない。この先どう
なるのか?
当てはまらぬ、無用な鍵! それだ! どこへ持って行っても予のうまく当て
はまる穴がみつからない!
煙草に餓えた。
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まず最大の驚きは、「この時期に一握の砂」を書いていたこと。
おいおい、
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はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
by 啄木
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働いてないじゃん。。。
借金して本買ったり、女遊びしたり、挙句の果てに金欠なのに人助けに金使っ
てるじゃん。。。やっぱりスケールがでかいというか単なるろくでなしというか。。。
でも、僕はMS時代から「タレント発掘と育成」には自信があったので、こういう
タレントを何とか立ち上げてみたいですね。。。まあ遠い将来にでも。
5月6日
自分でもう「Dead or Alive」と考えているのに、加えて「後輩たちを救わねば」
とも考えている啄木。「まず自分が幸せでないと他人を幸せにするのは難しい
よ」と話してあげたかったです。自分がハッピーになり、そのおすそ分けをする、
その順番でないと、自分がとても不幸になる。「周りがハッピーになれば俺は
どうなってもいい!」という人もたまに見ますけど、ちょっとそれは大変すぎる
なぁって思うんですよね。
5月7日
一握の砂を書き出す。なんか名著の書き始めがこんなタイミングだった、
というのが驚き。会社さぼってあれ書いてたなんて。桔梗屋の娘!って
何だったのだろう?よほど気になったのか。
5月8日~13日
まあ、啄木の日記モチベが駄々下がった証拠。13日に一気に書いたのだろう。
一握の砂は原稿用紙50枚になっている。まあ確か500篇くらいの短歌集
だから、1枚1篇なら500枚。まだちょびっと書いただけのよう。
また他人から5円借りて、且つそれを二人の宿代に充てている。啄木の凄さ
を実感すると同時に「こいつほんと後先考えなすぎる」と残念にも思う。
清水に苦言をして、啄木自身苦笑しなかったのか、それは知りたかった。
僕が啄木なら説教しながら(俺が説教できる柄か?)と内心苦笑する。
夜に自傷。遂にここまで来たかという感じ。正直僕は自傷したいという欲求
がよく解からない。死にたいなら当時は入水するのが一番楽だったと思う。
後半を読んでいて感じたのは「悪循環」ですね。焦りがさらなる焦りを呼び
何もできなくなってしまっている。
ただ、面白いのはこの焦りを抑える方法が「無駄な遊び」だという事を啄木
は体で知っている。なので彼はこの数年後に病死しますけど、自殺には
至らなかったのだと思います。これだけ思いつめる性格でありながら、
たくさん遊んで自分のすさんだ心をいやす術も知っていたからなんとか
心のやりくりができた。
啄木の生き方は自分にはできないし、するつもりもないけど、結構参考に
なるアイデアが多くて、読んでいてとても楽しいしためになります。