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その25 石川啄木 ローマ字日記 Part25(完)

十四日 金曜日

雨。
佐藤衣川に起された。五人の家族をもって職を探している。
佐藤が帰って清水が来た。日本橋のある酒屋の得意廻りに口があるという。
岩本を呼んで履歴書を書いてくるように言ってやった。
いやな天気だが、何となく心が落ち着いてきた。社を休んでいる苦痛も馴れ

てしまってさほどでもない。その代り頭が散漫になって何も書けなかった。何

だかいやに平気になってしまった。
二度ばかり口の中から夥しく血が出た、女中はノボセのせいだろと言った。
夜は「字音仮名遣便覧」を写した。
渋民村を書こうと思ったが、どうしても興が湧かなかったからそのまま寝て

しまった。

十五日 土曜日
九時に岩本に起された。岩本の父から「よろしくたのむ」という手紙が来た。
今日の新聞は長谷川辰之助氏(二葉亭四迷)が、帰朝の途、船の中で死

んだという報を伝え、競ってその徳を讃え、この何となく偉い人を惜しんでいる。
この頃は大分寒かったが、今日から陽気が直った。雨も晴れた。
何もせずに一日を過ごした。緩み果てた気の底から、遠からず恐ろしいことを

決行せねばならぬような感じがチラチラ浮かんでくる。
夜、二人の少年がやって来た。清水は京橋の酒屋へ丁稚に住み込むことに

決まって、明日のうちに行くという。
二人が帰って間もなく、いつか来たっけ小原敏麿という兎みたいな眼をした

文士が来た。ウンザリしてしまってロクに返事もしないでいると、何のカンのと

つまらぬことをしゃべり散らして十時半頃に帰って行った。
「ものは考えよう一つです、」とその男が言った。「人は五十年なり六十年なり

の寿命を一日、一日減らしていくように思ってますが、僕は一日一日新しい日

を足していくのがライフだと思ってますから、ちっとも苦しくも何とも思わんです。」
「つまりあなたのような人が幸福なんです。あなたのように、そうごまかして安心

して行ける人が・・・」
十一時頃、金田一君の部屋に行って二葉亭氏の死について語った。友は二葉

亭氏が文学を嫌い・・・文士と言われることを嫌いだったというのが解されないと

言う。憐れなるこの友には人生の深い憧憬と苦痛とはわからないのだ。予は心

に堪えられぬ淋しさを抱いてこの部屋に帰った。遂に、人はその全体を知られる

ことは難い。要するに人と人との交際はうわべばかりだ。
互いに知り尽していると思う友の、遂にわが底の悩みと苦しみとを知り得ない

のだと知った時のやる瀬なさ! 別々だ、一人一人だ!
そう思って予は言い難き悲しみを覚えた。
予は二葉亭氏の死ぬ時のこころを想像することが出来る。

十六日 日曜日
遅く起きた。雨が降りこめてせっかくの日曜が台無し。
金田一君の部屋へ行って、とうとう、説き伏せた。友をして二葉亭を諒解せし

めた。今日も岩本が来た。
社にも行かず、何もしない。煙草がなかった。つくねんとして又田舎行きのこと

を考えた。国の新聞を出してみていろいろと地方新聞の編集のことを考えた。
夕方金田一君に現在の予の心を語った。「予は都会生活に適しない、」という

ことだ。予は真面目に田舎行きのことを語った。
友は泣いてくれた。
田舎! 田舎! 予の骨を埋むべき所はそこだ。俺は都会の激しい生活に

適していない。一生を文学に! それは出来ぬ。やって出来ぬことではないが、

要するに文学者の生活などは、空虚なものに過ぎぬ。

十七日 月曜日
午前は凄まじいばかり風が吹いた。休む。
午後、岩本がちょっと来て行った。
今日の新聞は二葉亭氏がニヒリストであったことや、ある身分卑しい女に関

した逸話を掲げていた。
昼飯まで煙草を我慢していたが、とうとう「あこがれ」と他二三冊を持って郁文

堂へ行き、十五銭に売った。「これはいくらなんだ?」と予は「あこがれ」を指した。
「五銭ですね、」と肺病患者らしい本屋の主人が言った。ハ、ハ、ハ、・・・
今日も予は田舎のことを考えた。そしてそれだけのことに日を送った。「如何に

して田舎の新聞を経営すべきか? 又、編集すべきか?」それだ!
この境遇にいるこの予が一日何もせずに、こんなことを考えて暮したということは!
夜枕の上で「新小説」を読んで少しく思い当たることがあった。
「ナショナルライフ!」それだ。

三十一日 月曜日
二週間の間、ほとんどなすこともなく過した。社を休んでいた。
清水の兄から手紙は来たが、金は送って来ない。
岩本の父から二三度手紙。
釧路なる小奴からも手紙が来た。
予はどこへも・・・函館へも・・・手紙を出さなかった。
「岩手日報」へ「胃弱通信」五回ほど書いてやった。それは盛岡人の眠りをさます

のが目的であった。反響は現れた。「日報」は「盛岡繁栄策」を出し始めた。
死刑を待つような気持ち! そう、予は言った。そして毎日独逸語をやった。別に、

いろいろ工夫して、地方新聞の雛形を作ってみた。実際、地方の新聞へ行くのが

一番いいように思われた。無論そのためには文学を棄ててしまうのだ。
一度、洋画家の山本鼎君が来た。写真通信社の話。

晦日は来た。何となく汽車に乗りたく思ひしのみ汽車を下りしにゆくところなし
黙って家にもおられぬので、午前に出かけて羽織・・・ただ一枚の・・・を質に入

れて七十銭をこしらえ、午後何のアテもなく上野から田端まで汽車に乗った。ただ

汽車に乗りたかつたのだ。田端で畑の中の知らぬ道をうろついて土の香を飽かず

吸った。
帰って来て宿へ申しわけ。
この夜、金田一君の顔の憐れに見えたつたらなかつた。

六月一日 火曜日
午後、岩本に手紙を持たしてやって、社から今月分二十五円を前借りした。但し

五円は佐藤氏に払ったので手取り二十円。
岩本の宿に行って、清水と二人分先月分の下宿料(六円だけ入れてあった)

十三円ばかり払い、それから、二人で浅草に行き活動写真を見てから西洋料理を

食った。そして小遣い一円くれて岩本に別れた。
それから何とかいう若い子供らしい女と寝た。その次にはいつか行って寝た小奴

に似た女・・・花・・・のとこへ行き、ヘンな家へおばあさんと行った。
おばあさんはもう六十九だとか言った。やがて花が来た。寝た。何故かこの女と

寝ると楽しい。
十時頃帰った。雑誌を五六冊買ってきた。残るところ四十銭。

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ローマ字日記はこれで終わり。

5月に入って完全に日記のモチベが落ち、小説・短歌もうまく書けず、思いは常に

田舎に帰ることばかり。仕事も5月後半は全休。ほんとこれで首にならないのだから、

啄木がものすごく評価されていたのか、会社が寛容すぎたのか。

しかも6月になった途端にまた12万前借り。そして、すぐに女を買う、1日で二人も。

破滅的すぎます。こんな状況なのに二人の後輩の家賃6万の自腹を切る。

そして1日で12万がもう4000円に。死ぬ気だったのかなぁと思いました。

日記をすべて読み終えての感想ですが、

・啄木は完全にダメ男だが、彼の悩みと行動に理解を示すことはできる。僕は

これまで無借金を貫いているが、建設性と破滅性の共存は似ている。人に迷惑

を掛けたくない僕と人に迷惑をかけてでも好きなことをする、が最も大きな違いと

感じた。

・これを死の間際に奥さんの節子に託し、死後焼却処分を依頼したというのが

啄木の脇の甘さであり、憎めないところと感じた。節子さんは「あまりに愛着が

ありすぎて捨てられなかった」と述懐しているが、それならば晒す必要がない。

どう考えても「リベンジ」だったのだと思う。これも啄木が愛した「アイロニー」だ。

・「完璧主義者はいずれ破綻する」、はっきりそれを実感した。啄木は明らかに

頭が切れる。でも常に最高に成功している自分の背中を追い、現状とのギャップ

に猛烈に苦しむ。結局死ぬまでそれを続けたのだろうか。

・自分の才能が完全に評価されない事への嘆き、評価してくれる地元への懐古、

これも彼らしい。金田一君をはじめ、多くの人達が当時彼を評価していた。

でも啄木からすれば「金に還元されない」ために納得がいかない。

啄木は自分を余と呼ぶくらい自信に溢れていたのだから、他者の評価に拘泥

しなくなれていたら・・・と思うと残念でならない。

ほかにもいろいろ感じたことはありましたが、まあ一言でいえば、

「面白い人生とは思うが、僕はここには絶対に行かない」

でしたw

明日以降は自分が感銘を受けた本の感想を書いていきます。

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